基本情報
運営者情報をご覧いただき、本当にありがとうございます。
まずは、自己紹介をさせていただきます。
自己紹介
はじめまして。
当サイトを運営している川田幸寛(かわたゆきひろ)と申します。

私の自己紹介まとめです!
- 1998年 札幌生まれ
- 教育大学札幌校 英語教育専攻 卒業
- オーストラリアのパースに1年間の留学へ
結果:TOEIC400→835
ケンブリッジ英検B2 first 取得! - 小学校教員→フリーランスの英語ライターへ
- 苦手だった英語を一気に伸ばした経験や
間違えやすい表現などをわかりやすく解説!
「こんな簡単なこともできないのか!?」と怒鳴られる日々
私が中学1年生のときです。英語を含め、あまり勉強が得意ではなかった私。
そんな私を見かねて、英語が得意な父が私に英語を教えてくれたのです。
滑り出しは順調でした。
父が説明したことを理解でき、練習問題もすらすらと解けました。
そのため、父はやさしく教えながら「よくできたね!」とたくさん褒めてくれました。
とても嬉しかったことをよく覚えています。
しかし、ある単元を境に英語が大嫌いになりました。
どの文法だと思いますか?
正解は「疑問詞」です。
“what”や”where”など、疑問文を作る品詞ですね。
正直、私にとってはどれも同じに見えました。
ほとんどが”wh”で始まるうえに数も多く、困惑したことをよく覚えています。
その結果、これまでは問題なく解けていた問題で間違えるようになりました。
さらに、どれが何を意味するのか分からないため、同じ問題を何度も何度も間違えるように。
「こんな簡単なこともできないのか!?」



なぜ間違っているのか分からない……
なんで怒られているのか分からない……
どうして問題が解けないのか分からない……
それからというもの、間違うたびに怒鳴られるようになりました。
そして、「二度と英語なんか勉強しない!」と英語が大嫌いに。
もちろん、英語の成績はガタ落ちです。
初回は90点だった英語のテストが60点、50点、40点に……
中学2年生の不定詞のとき、中学3年生の関係代名詞のときは最悪でどちらも30点台でした。
「教えるの上手だね!」好きな子からの嬉しい一言
結局、英語は大嫌いのまま中学を卒業し、偏差値40台の公立高校へ進学しました。
仲良しの友達と美術部で絵を描き、部活のない日はサッカーやゲームをして過ごしました。
今でも忘れられない、青春の1ページです。
そんな私には夢がありました。それは、教員になること。
きっかけは好きだった子に化学を教えたら、「教えるの上手だね!」って褒められたことです(笑)
私は単純なので、「俺って教える仕事に向いているのかも!」って思いました。



教員になるには、どの大学に入ったらいいんだろう?
担任の先生に聞いたり、自分で調べたりして1つの答えを見つけます。
教育大学に進学することです。
卒業生の6~7割が教員になっており、非常によい環境なのだろうと思いました。
進学に向けて、まずは自分の学力を把握するために全国統一模試を受験しましたが、結果はE判定。
模試対策はおろか、勉強すらほとんどしてなかったので当然の結果です。
しかし、ひどく落ち込んだのをよく覚えています。
「俺じゃ無理だ……」って。
しかし、どうしても諦めきれませんでした。
「教えるの上手!」と褒められてからは、いろいろな人に勉強を教えるようになりました。
「そういうことか!」って表情が明るくなる友達の顔を見たとき、「いい点とれた!」って嬉しそうに報告してくれる友達の顔を見たとき、私はとても幸せでした。
「よし、頑張ろう!」
気持ちを新たに、受験勉強に取り組む決意を固めました。
「あれ、なんかパズルみたいで楽しいぞ?」英語の楽しさに気づけた大学受験
「受験勉強を頑張る!」とは言ったものの、何をどのよいに頑張ればよいのか分かりません。
とりあえず、毛嫌いしていた英語から勉強をしてみました。
一次試験のセンター試験(現在の共通テスト)でも二次試験でも、英語が必要だったためです。



英語って何から勉強したらいいですか?
悩んでいても仕方ないので、英語の先生に質問しました。
返ってきた答えは単語と文法。正直、一番やりたくないものでした(笑)
それでも教員になる夢を諦めたくなかったので、文法の勉強から始めてみました。
当初は文法書を3分眺めるのがやっとで、それ以上頑張ると体中がかゆくなるのです。
まさに「英語アレルギー」といえるでしょう。
それでも1日5分の文法学習を続け、1か月後には30分も学習ができるようになりました。
そして、現在完了形の学習中に雷が落ちたような衝撃が走ったのです。
まずは、こちらの英文をお読みください。
なんの変哲もない英文です。
しかし、私は



現在完了形の中に受け身の文章が入っている!
と、ものすごく驚きました。
初めて知識と知識がつながった瞬間でした。
このときに私は「英語ってパズルみたいで楽しいかも!」って感じました。
「英語ができないのは自分だけ……」進学後は英語科の劣等生
「英語はパズルみたいで楽しい!」と感じてからは、毎日2~3時間も英語の勉強をするようになりました。
そして、高校2年生のときに受けた校内模試では偏差値86の結果を出しました。
1年生の時は偏差値40だったので、1年間で偏差値が40以上も伸びたのです。
その後、私は毎日10時間以上、受験勉強するようになりました。
友達と遊んだり好きな人に振られたり、勉強が一切できない日もありましたが(笑)
努力が実を結び、教育大学へ現役合格できました。
しかも、学部は英語専攻です。
この頃は英語が大好きで、英語に自信がありました。
しかし入学早々、自分の英語力の低さを思い知ることになるのです。
きっかけは、とある講義でした。教授の指示は英語、話し合いや発表も英語。
私は英語の読み書きばかりで、話す聞くの勉強はしてきませんでした。
しかし、英語を話せないのは私だけ。クラスメイトは英語の指示を理解し、英語を話していました。
それもそのはず。出身高校がトップクラスの進学校だったり、高校時代に留学を経験していたりするような人ばかりだったためです。
一方、私は偏差値の低い高校の英語が嫌いだった劣等生です。
この差を埋めることはできず、私は英語科にいるのに英語が話せない劣等生として、つらい思いをしてきました。
特につらかったのは、私が英語で発表するときに笑う声が聞こえた瞬間です。
ここから、人前で英語を話すことに抵抗感を抱くようになりました。
「英語話せないのが悔しい!」その一心で留学を決意
クラスメイトが当然のように英語を話しているのに、私は英語が話せない。それがこれ以上ないぐらいに悔しかった。
「絶対に話せるようになってやる!」と意気込み、英会話スクールに通ってみたり、洋楽を聞いたり「話す聞く」に焦点を当てて英語の学習をしました。
1年以上は学習しましたが、クラスメイトのように英語が話せることはありませんでした。
そして、大学2年生の時にクラスメイトが留学へ行きました。この時、単純な私は思ったのです。



俺も留学行けば話せるようになるのでは?
今思うと「なんと安直な……」と我ながら呆れてしまいますが、当時の私は英語が話せないことがよっぽど悔しかったのでしょう。
この頃からバイト時間を増やし、留学費を貯めるようになりました。
「留学に行く!」という決意を胸に、いっそう集中して英語学習に励み始めたのもこの時期です。
そして、大学生ながら100万以上貯金し、4年生のときにオーストラリアのパースへ留学へ行きました。
人生初の海外にも関わらず、1年間も帰国できない。
加えて、ぜんぜん話せない英語で暮らさなければならない。
正直、不安しかありませんでした。
「I don’t understand you, because you’re Japanese.」英語が話せないから受けた差別
留学では、本当にいろいろな経験をしました。
平日の深夜3時まで爆音でパーティをする隣人に悩まされたり、生肉を床に直置きしてハンマーで叩くネパール人に驚いたり(笑)
そのなかでも、特に印象的だった出来事は差別を受けたことです。
すれ違った際に、ここでは言えないようなひどい悪口を言われることが何度もありました。
しかし、そこまで気にしませんでした。「まあそんなこともあるか」くらいの感覚です。
海外で生活するにつれて、メンタルも強くなったのでしょう(笑)
そんな私ですが、言われた瞬間に、はらわたが煮えくり返るような思いをした言葉があります。
それが、「I don’t understand you, because you’re Japanese.」です。
私がレストランでバイトをしていたときに受けた差別でした。理由は、私が英語を上手く話せなかったためです。
私は、そのお客さまのオーダーを取っていました。
とにかく質問が多く、メニューの説明をしなければなりませんでした。
「この食べ物、英語でなんて言うんだろう?」と説明ができないものもありました。
そして、「お前は日本人だから何言ってるのか分からん」と言われたのです。
英語が話せないのは私で、日本人全員が話せない訳ではないのに。
日本人全体の評価を下げてしまった。
そのように思うと、とても苦しく、同時に悔しく思いました。
それ以降、英語学習にもっと力を注ぐようになったのです。
「I thought you were raised in Australia!」差別を糧に英語学習を頑張った結果
「I don’t understand you, because you’re Japanese.」と言われたのは、オーストラリアに来てから半年後でした。
半年も経てばニュースは英語で理解できるし、道を尋ねるぐらいは問題なくできました。
なんとか生きていけるくらいの英語力はあったと思います。
だからこそ、「もう英語は大丈夫!」という気持ちがあったんでしょう。
この気持ちを改めて、英語に触れる時間をさらに増やしました。
具体的には、
- 語彙力を増やすために読書を始める
- 英語日記とテーマ別の英作文を書き始める
- 同居人とたくさん映画を見て、感想を伝え合う
- ケンブリッジ英検に焦点を当てたクラスへ編入する
このような行動をしました。
そして、3か月間ずっと継続しました。
この3ヵ月は、日本語に触れることはほとんどありませんでした。
週に数回、家族と恋人に生存報告をするだけでした。
この「日本語に触れない」というのが非常に効果的だったのだと思います。
簡単な英語であれば、日本語のように話せるようになりました。
さらに、ケンブリッジ英検B2を受験した結果、文法満点で合格できました。
そして、バイト中にとても嬉しいことを言われたんです。



I thought you were raised in Australia!
オーストラリア育ちだと思った!
バイト中、お客さまと雑談をしているときに言われた言葉です。
「英語を頑張ってよかったなあ」と、心から思いました。
「英語嫌いな子を少しでも減らしたい」そんな思いで叶えた夢:小学校教員
いろんな経験ができた留学。仲良しの友達に会いにくくなるのは残念ですが、帰国しました。
そして、小学校教員を目指すことにしました。
その理由は、中学生になった途端、英語が嫌いになる子が増えるためです。
中学校では、英語の読み書きが入ります。
これらが英語嫌いを増やしてしまう主な原因です。
しかし、英語が楽しいと感じていれば、それも乗り越えられると考えました。
そこで、小学生の頃からもっと英語が好きになれるようなお手伝いがしたいなって思ったのです。
そのためには、まずは教員採用試験に合格する必要があります。
試験対策のためにいろいろと調べていると、TOEIC730点以上を取得している場合は英語関連の一次試験は免除になるという案内を発見しました。
「これは受けるしかない!」とすぐにスマホで「TOEIC 受験日」と検索をかけ、直近で受けられる日時で申し込みしました。
そして迎えた受験当日。本来の私であれば、時間をかけて対策を講じて試験に臨んだでしょう。
しかし、当時の私はTOEICの勉強をほとんどしませんでした。
正確には「できなかった」。
教員採用試験対策で手が回らなかったためです。
そのような状況にもかかわらず、結果は835点。
今までの自分からは考えられない成績を残せたのです。
それからもコツコツと対策を続け、無事に教員採用試験に合格することができました。
「ここでは自分の夢は叶えられない……」悩みに悩んで転職を決意
ついに、私は高校生からの夢である教員になることができました。



「たくさんの人に英語を好きになってもらうぞ!」
教員として、張り切って仕事に打ち込みました。
しかし、英語に割ける時間はほとんどありませんでした。
さらに言えば、算数や国語などの主要科目の進度が遅れていると、英語の時間を潰して遅れている科目を進めなければならなかったのです。
ここに、理想との大きなギャップを感じました。
もちろん、子どもたちは可愛らしく、授業も遊びも楽しくて、毎日が宝物のような日々だったことに違いはありません。
だからこそ、悩みに悩みました。続けるべきか、辞めるべきかを。
そして、私は辞めることにしたのです。
「もっと多くの英語学習者のサポートがしたい!」選んだ夢は英語ライター



しかし、どうすれば多くの英語学習者のサポートができるだろう?
中高の英語教師や塾講師も考えましたが、サポートできるのは多く見ても年間100人程度です。
「どうせなら、もっと多くの学習者の力になりたいな」と思いました。
そこで思いついたのが、ライターです。
執筆した記事はインターネットに公開されるため、全世界の人々がサポートの対象となります。
このような経緯で、さまざまなメディアで英語に関する記事の執筆をさせていただいております。
その活動のかたわら、当サイトの運営を行っています。
なお、当サイトで取り上げているのは主に私の実体験に基づくことです。
たとえば……
- 私がややこしくて間違えたことのある英語表現や英語文法の解説
- 私が英語嫌いだったときの悩みやその解決方法
- 苦手だった英語を得意にできた勉強の仕方
- 留学の体験談
私が悩んできたことをわかりやすく言語化することで、似たような悩みを抱えている方のお力になりたいと考えております。
あなたのお悩みを少しでも解決できたのなら、私はすごく幸せです!
長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
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